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伊勢神宮を有名にしたのはドイツ人 【 西行法師も感激 世界の名建築 】

天皇の祖先にあたる天照大御神 (アマテラスオオミカミ)」主祭神とし、神社の中でも最も高い格式をもつ「国家神」とでもいうべき存在が伊勢神宮です。正式名称は神宮といい、「天照大御神」をお祀りする「皇大神宮(内宮)」と「豊受大御神 (とようけおおみかみ)」をお祀りする「豊受大神宮(外宮)」からなります。古来より信仰を集め、一生に一度の「お伊勢参り」は日本人の憧れとなっています。

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内宮 宇治橋鳥居

 

平安末期の歌人として有名な西行法師は、伊勢神宮を訪れた際にこのような歌を詠んでいます。

 

「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

 

(どなたさまかがいらっしゃるかはよく分かりませんが、畏れ多くてありがたくて、ただただ涙が溢れてやみません)

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内宮 五十鈴川御手洗場

伊勢神宮について多くの著書をもつ建築評論家の川添登氏は、「神域と遷都」にて、伊勢で感極まった西行について以下のように述べています。

 

西行ほどの人物が、伊勢神宮の祭神が天照大御神であることや、それにまつわる神話などについて知らなかったはずはない。しかし、それらは個人の主体に、直接関わってくることではない。他の宗教の神仏のように、人を愛せよと諭すのでもなければ、われ汝とともにありと呼びかけるのでも、ひたすらに祈れと救いの手をさしのべてくるものでもない。また当時には、明治以後のような天皇制思想というものもなかった。日本人は、古くから人間社会の背後に働いている自然の神秘を信じていたが、それは口に出して語れるような論理的な反省による性格のものではなかった。まさに「何事のおはしますかは知らねども」なのである。

 川添登「神域と遷都」ー

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内宮 正宮 「ここから先は写真撮影禁止」

今となっては有名な伊勢神宮ですが、建築史の中では長らくマイナーな存在でした。明治以来の国家神道の中心に置かれたために扱いずらいテーマでもありました。そんな伊勢神宮に建築家の関心を一躍集めさせたのは、ナチスの迫害により日本に亡命した、世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウト (1880〜1938)です。タウトは日本中の建築を見て回り、特に伊勢神宮桂離宮に感銘を受け、その感動を世界に発信します。

 

 「材料と構造と比例の純粋性において、これ以上のものは世界のどこにもない。」

 

「世界の建築家はここを巡礼の聖地としなければならない。なぜならばこの日本の完全な独創的な作品は全世界を統べる唯一の作である。」

 

ギリシャの諸神は、天上界の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神の美を偲ばせる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材をもって最高の美的醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃墟にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないだろう。伊勢神宮の意義は、日本の全国民の崇敬の対象であるとか、また参拝の人々が陸続として絶えないということだけにあるのではない。造営の精神、即ち神宮の建築に対する考方に、まったく独創的なものが開顕されているのである。」

 

ブルーノ・タウト 

 

タウトはとにかく伊勢神宮を絶賛しました。偉大な西洋建築として有名な、ギリシャパルテノン神殿に肩を並べられる、精神性ある建築だと絶賛しました。当時の日本の建築界は急速に進む欧米化の波を受け「日本らしい建築とは何か」が分からなくなっていた時代。タウトが伊勢神宮桂離宮の素晴らしさを世界に発信したことは、日本の建築界にとって、アイデンティティを取り戻す力になったのです。

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外宮 参道

西行やタウトがなぜそこまで感激したのか、それは実際に訪れなければわからないでしょう。正直私も行くまでは分かりませんでした。実際に足を運ばなければ感動することはできません。コーリン・ロウやルイス・カーンはじめ一流の建築家が言ってきたように、真理は目に見えない世界にあるのだから。

 

できる範囲でお伝えするならば「人間と自然が一体」となった世界観に私たちは感動するということです。背後に茂る杉木と同質の素材をもった建築の調和、そして自然と人間の調和に私たちは感動するのです。

 

今日使われている「個人」や「主体」といった概念はフランスのルソー等によって確立され、現代社会の自由主義や民主主義の根幹になっておりますが、不明瞭な「個人」と「全体」の区別は、ときにギロチンや粛正、ときに嫉妬や批判のみする人民を生んできたとも言われてます。

 

そんな、『唯一神と人間』『自分と他人』『人間と自然』がはっきり区別される西洋文明とは違い、東洋文明には皆が神仏の子であるからこその「自他一体」「人間と自然が一体」という世界観があります。この世界観に私たちは感動するのです。

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外宮 豊受大神宮付近

式年遷宮」についても触れなければなりません。七世紀に持統天皇が始めたとされる「式年遷宮」は、内外宮とその他十四の別宮にいたるまで、全て二十年ごとに全く新しく造り直す制度です。

 

一度建てたら永久に遺る石造りの西洋建築とは違い、建て直すことが前提の伊勢神宮は、私たちに「生死とは何か、永続性とは何か」を考えさせてくれます。転生輪廻や、死後自然に還っていくような人生観を考えさせてくれます。

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外宮 古殿 「二十年ごとに社殿が建て替えられる」

とにもかくにも、日本が誇る世界の伊勢神宮に、一度は足を運んでいただけたら嬉しいです。最後まで読んでくださり本当にありがとうございました!!

《掲載写真は全て筆者撮影》

www.isejingu.or.jp

 

参考文献: 

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」

 かなり参考にさせていただきました。日本の建築界を長らく牽引して下さっている磯崎さん、本当に有難うございます。

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

 伊勢神宮のような東洋文明の世界観の中でこそ、デジタルネイチャーは成り立つということを落合さんは語っています。西洋文明をそろそろ終わらそうじゃないかと、これからの時代は東洋文明だと、落合さん熱く熱く語ってます。引用されるのは伊勢の式年遷宮や、荘子芭蕉、その他数々の新旧問わない文献です。数式や理科の実験、サイエンスの事例から導き出される自然界の法則も引用しているので非常に面白いです。それらを引用しながら「あらゆる自然の中に本質が宿っている。そして自分と自然、さらには自分と他人は一体である」という空間論や「生死とは何か、永続性とは何か」という時間論を語っています。

図説 日本建築のみかた

図説 日本建築のみかた

日本建築史図集

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