京都・醍醐寺展レポート【真言密教の宇宙を体感!!】
『心の中に宇宙が広がっている』という悟りを得た当時の密教の僧侶達、とくに空海は本当に凄い。このポスターには痺れました。笑
桓武天皇から豊臣秀吉、そして前田利家にも縁がある醍醐寺について学べるこの機会、わかる人にとっては激アツです。
サントリー美術館では11月11日まで開催中の『京都・醍醐寺ー真言密教の宇宙ー」とにかくオススメです。こちら、紹介動画です。
京都市伏見区にある真言宗醍醐派総本山の醍醐寺は、874年に聖宝(832〜909)によって創建されました。この聖宝という僧を、今回私は初めて知ったのですが、なんと空海の孫弟子なんですよね。
空海は二十歳の頃、禅定中に『宇宙即我』の神秘体験をして、その「宇宙大になった自分が見た空と海のイメージ」をもとに「空海」と名乗るようになったといいます。空海は、最澄はじめ他の密教の僧達に比べて、霊的、スピリチュアルだったといいます。そして空海は真言密教の祖となるのです。
要は、空海そして真言密教というのは、この世の中だけの人生観ではなく、霊的人生観を持っていたのです。だからこそ「自分の心の中に宇宙が広がっている」というような境地に至ることができたのです。
そんな空海の孫弟子として、聖宝は16歳で出家します。空海の孫弟子という恵まれたバックグラウンドも生かし、東大寺をはじめ南都の寺々で修業を重ねた後、山岳修業に入ります。
平安時代後期に書かれた「醍醐寺縁起」によりますと、修業を重ねて真言密教の伝授も受けた聖宝は、おのれの進むべき道を模索していたといいます。
あるとき、山道を登っていたとき、山頂近い谷あいに一人の老翁が現れて、そこに湧き出す清水を飲んで、「これこそ醍醐味である」と言ったそうです。
そして聖宝が、「自分は仏道修業に努めているが、活動の拠点となる地を探し求めている」と語ったに対して、老翁は、「自分はこの山の地主の神であるが、あなたにこの山を進上しよう。あなたがここに精舎を建て、仏法の興隆に努めるならば、私はその守護神となるであろう。」と述べて、姿を消したのでそうです。これが、「醍醐寺」の名前の由来となっています。
こちら、参考文献です。
展覧会を見て、ましては仏像を見て、ただ終わってしまうことは残念だと思います。
なぜこの仏像はつくられたのか?当時の作り手の思い、民衆の思いは何だったのか?
ここを考えなければ、失礼であると思います。
とはいっても、手を合わせて仏様に拝んでいらっしゃる方を見ると、心が暖かくなります。身体で表現していなくても、心の中で拝む方もたくさんいっらしゃったと思います。どこか展覧会場が暖かさで包まれていました。
僕がサクラダ・ファミリアに行ったとき、礼拝堂の前方でお祈りをしていていたら、警備員に「早くどきなさい」と言われたのはいい思い出です。
無宗教と言われながらも、多くの方が鳥居をくぐる際に一礼したり、どこか神さま仏さまへの畏敬の念を持っている日本は本当に素晴らしい国です。この国に生まれて本当に良かったです。
多くの神社やお寺が建てられてきたおかげで、いま私たちは生かされています。感謝の思いを忘れずに、日々を過ごしていきたいと思います。