『自由 民主 信仰』の世界ヘ

国際政治/アート/ビジネス 繁栄の法則とは心の精進に励み、影響力を大きくし、後世への遺産を残すこと

『自由 民主 信仰』の建築 後編【コルビュジエ インド そして日本 】

 

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Chapelle Notre-Dame du Haut 【ロンシャンの礼拝堂】 Le Corbusier

  

前編はこちらから。

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まずはじめに、前編で触れられなかったコルビュジエとインドの関係」について述べよう。コルビュジエは1951年、63歳の時から、死ぬ前年76歳までに、計23回もインドを訪問している。この頃にロンシャンの礼拝堂も設計しているのだが、インドに影響を受け、作風は劇的に変化している。シトー会のような「世俗的なものを捨て、厳しさの中を一条の光に向かって歩む」キリスト教的空間ではない、多神教であり転生輪廻の考えのもとに出来上がるインドの空間は、コルビュジエに大きな影響を受けたことで有名だ。

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州会議事堂【インド チャンディガール】Le Corbusier

建築界のノーベル賞であるプリツカー賞を受賞した、世界的建築家である西沢立衛は、GAのインタビューでインドに対してこのように述べている。

 

如何に貧しくても、文化や宗教をその民族が持っていれば、気品、豊かさがあると思うんです。

 

日本にはヒンドゥー教でなく仏教が伝来しましたが、日本の仏教は、相当死を怖がっている気がします。日常生活での関わりを考えても、お葬式関係が中心です。生きることがあまりにも重要で、死ぬことは恐ろしく嫌われることというのでしょうか。

 

一方、インドからはより大きな視野を感じます。生も死も、大きな世界の一部だという気がしました。生きるための街をつくるのではなく、生死を超えた大きさが街になっていて、近代化と言っても「このような方向があるのか」と思わされました。

 

西沢立衛

GA JAPAN 128

GA JAPAN 128

 

また、「インド美術史」の中で、宮治昭氏はこう述べている。

 

日本人は従来インド世界を、仏教ーそれも日本の仏教ーを通して見てきた。しかし、ひとたびインド美術の図版を開けば、豊潤な生命の多彩な姿に引込まれ、我国の仏教美術との違いにむしろ驚かされる。インド美術には、此岸と彼岸の二元論は存在しないようにみえる。ここでは此岸と彼岸は一体化され、いわば此岸の中に絶えず彼岸を見る大いなる眼差しがある。

インド美術史 (歴史文化セレクション)

インド美術史 (歴史文化セレクション)

 

 

それでは、これまでの話をまとめてみよう。

 

 

コルビュジエから学ぶ新時代の建築づくりのキーワードは、

 

 

霊的価値観に基づいた精神の自由と独立自尊=【自由】

 

インドから学ぶ転生輪廻や寛容の心 =【民主】

 

 シトー会から学ぶ信仰の道に入る厳しさ、ギリシャの精神性 = 【信仰】

 

そう、『自由 民主 信仰』がキーワードだ。

 

 

言い換えるならば、霊的価値観のもとに「進歩」と「調和」を両立させ、皆で発展していくことが求められるということだ。

 

 

これらを、建築空間に表すならば、

 

ギリシャの精神性のもとに、インドのような生死が混在し自然と人間が一体となった空間、いわば循環する空間、と、キリスト教的な厳しさの中に光を見出す直線的な空間の融合とも言えるだろう。

 

求心性と、方向性を持った空間とも言えるだろう。

 

 

例えばこのようになる。

 

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さらに、コルビュジエのように技術革新の波に乗りながら古くからの精神性や幾何学黄金比白銀比を重んじることも考慮すると、

 

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このようになる。歴史上の偉大な建築に肩を並べるのは恐縮であるが、自らの力で時代を切り開いてみせたい。

 

 

最後に、コルビュジエの影響を受けた現代日本の偉大な建築家の作品を紹介する。 求心性と方向性の融合、循環する空間と直線的な空間の融合が見て取れる。

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名古屋大学 豊田講堂 【 設計:槇文彦

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名古屋大学 豊田講堂 【 設計:槇文彦

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神奈川県立近代美術館 【 設計:坂倉準三 】

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ニューヨーク近代美術館 【 設計:谷口吉生

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ニューヨーク近代美術館 【 設計:谷口吉生

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東京国立博物館 法隆寺宝物館【 設計:谷口吉生

 

最後まで読んで下さり本当にありがとうございました!

共に時代を切り開いて参りましょう!!

 

《掲載写真は全て筆者撮影》

 

参考文献:

ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム

ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム

 

『自由 民主 信仰』の建築の提案 《前編》【コルビュジエ パルテノン 正教会】

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Parthenon 【パルテノン神殿

 

時代が大きく変わっている今、

建築のあり方を考えることが必要だ。

 

10年後を読み、

50年後を語ろうではないか。

 

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Couvent de la Tourette【ラ・トゥーレット修道院】Le Corbusier

ビスマルク「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」という名言を遺しているように、未来を考える際に忘れてはならないのは、過去から学ぶ姿勢だ時代が大きく変わったとき、偉大な建築家は何を考え、どんな建築をつくったのだろうか。

 

今回は、石造りの建築しかなかった時代に「コンクリートと鉄とガラス」の建築を形作ったル・コルビュジエ (Le Corbusier) に焦点を当てて考えてみたい。コルビュジエは1887年にスイスで生まれ、主にフランスで活躍した。アメリカのフランク・ロイド・ライト、ドイツのミース・ファン・デル・ローエと並び「近代建築の三大巨匠」と呼ばれている。

 

1923年に発刊された、若きコルビュジエの人生計画そのものである「建築へVERS UNE ARCHITECTURE  Le Corbusier-Saugnier》から読み解いていこう。

建築へ

建築へ

一部抜粋する。

技術者の美学、建築。二つの依存し合い、関連し合うもの。一方は満開の発展にあり、他方は惨めな後退にある。

技術者は、経済の法則に活力を受け、計算に導かれて、われわれを、宇宙の法則に一致させる。

ここでいうところの技術者の美学というのは、当時の先端技術に基づいて作られた車や造船、工場などの美学である。産業革命によって、この時代の工業技術は劇的に発展したのだが、経済性から生み出される形状は極めて秩序立っていた。それに比べて建築はというと、古代や中世からの石造りのまま、むしろ古代ローマルネサンスの頃の秩序立ったプロポーションの美しさからはどんどんかけ離れていた。新しい技術を導入し、再び秩序立ったプロポーションを求めようコルビュジエは熱弁する。

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Couvent de la Tourette 【ラ・トゥーレット修道院】 Le Corbusier

建築家は、形の秩序立てによって精神の純粋な創造である秩序を実現する。建築家は、形によってわれわれの感覚に強く働きかけて造形的感動を引き起こし、自ら創り出す関係によって、われわれのうちに深い反響を呼び起こして、われわれに世界の韻律との一致を感じさせる秩序の韻律を与える。われわれはそれを美と感じる。 

ここでいう建築家とは新時代の建築家である。秩序立った形をもった新時代の建築は、高い精神性を持ち、そして世界との調和を生むとコルビュジエは訴える。さらに、当時の工業製品や工場の幾何学や秩序というものは、ギリシャパルテノン神殿に匹敵すると主張した。パルテノン神殿コルビュジエにとって永遠の憧れであった。

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Parthenon 【パルテノン神殿

コルビュジエは「建築へ」において「建築は優れた芸術であり、比例の取れた関係によってプラトン的偉大さ、数的秩序、調和の思考と知覚に達すると述べた。精神的なるものは美しく、美しいものは幾何学的精神の表れと訴えた。

そんなコルビュジエだが、決して型にハマった形態に固執していたわけではない。「建築へ」を出版した後、創作の幅を広げていく。フランスのフランシュ・コンテ地方にある、カトリックドミニコ会ロンシャンの教会に注目してほしい。

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Chapelle Notre-Dame du Haut 【ロンシャンの礼拝堂】 Le Corbusier

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Chapelle Notre-Dame du Haut【ロンシャンの礼拝堂】Le Corbusier

なぜこのような造形をコルビュジエは生むことができたのか。彼が見たものから考察していきたい。コルビュジエがロンシャンの教会設計の際に影響を与えたことで有名なル・トロネ修道院で有名なシトー会を中心に、西欧の修道院建築を見ていこう。

図説 西欧の修道院建築

図説 西欧の修道院建築

修道院建築の歴史を振り返ると、修道会が厳格であればあるほど、その修道会の特徴が建築に表れ、後世まで遺っていくことがわかる。特にロマネスク時代のシトー会は厳格であったが故にストイックな建築空間が後世まで遺った。年代順にまとめると以下のようにな

東方正教会:【ギリシャ個人主義・参集離散・大規模な修道院複合体】

 バシレイオス(巡礼空間重視・隠遁禁欲しつつも公的奉仕)

 

西方教会:【共同生活・院長が権利・戒律と詩編

 アウグスティヌス(西方最古の戒律)

 ベネディクト(禁欲・非単独)

 クリュニュー(世俗的・権威・ロマネスク)

 シトー(清貧・戒律・田舎・ロマネスク)

 カルトゥジオ(隠遁と共同生活の融合・単独有・伝道や説法しない)

 フランシスコ(無所有・清貧・フランス的な明快な精神・都市部)

 ドミニコ学門と伝道・スペイン的真摯と熱烈な信仰・都市部)

まず、コルビュジエが影響を受けたシトー会に着目する。12世紀、世俗的になっていたクリュニュー会とは正反対の方針をシトー会は示し、いかにして修道士は世俗を捨て霊的に生きるか清貧思想に生きられるか、厳しい同一規則のもとの集団行動を求めた。コルビュジエがシトー会のル・トロネ修道院から学んだとされる、世俗を切り捨てた清貧、厳しさの流れは、後にフランシスコ ( フランチェスコ愛と霊性を強め、ルネサンスへと繋がっていく。塩野七生さんがルネサンス人」の最初にフランチェスコをあげ、「清貧や厳しさがあったからこそルネサンスで精神の自由が爆発し、美が開花した」と述べたことは注目に値する。ル・トロネ修道院の造形だけでは、後期コルビュジエの自由な作風の説明がつかないが「精神の自由を生むための清貧や厳しさ」をル・トロネから影響を受けたと考えられるだろう。

ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)

ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)

そんなシトー会に代表される西方教会だが、後にもたらした政治的影響を見なければならない。清貧思想集団意識ルネサンス時代の霊性の高いを美の源でもあるのだが、豊かさの否定や没個性化をもたらしたことは、後の全体主義の起源にもなっていると言わざるをえない。自立した個人が消えた全体主義は、人権が守られず、暴力や殺人、粛清を生むとハンナ・アーレントは述べている。

ここで、今まで触れていなかった東方正教会について見ていこう。東方正教会は修道士が世俗の中で世俗のために活動するよう要求した「公的奉仕」と、あくまで聖者個人の禁欲修道が中心であり、修道士の共同生活は強制されないという「自己修行」が重視された。東方正教会には立自尊奉仕の心が求めらたのだ。

 

この精神は西方教会では失われてしまったのだが、コルビュジエが当初から絶賛していたパルテノン、そしてギリシャ哲学から流れているものである。コルビュジエは廃墟となったギリシャのパルテノンから精神性や秩序そして幾何学を学んだが、このギリシャ精神はローマに伝わり、コンスタンティノープル、そしてロシアに今も息づいている。

 

【まとめ】

コルビュジエは、技術革新の波に乗りながらも、ギリシャのパルテノンから精神性秩序そして幾何学を学んだ。また、シトー会からは俗世を離れた清貧厳しさを学び、精神の自由を爆発させロンシャンの教会をつくることができた。そして、ギリシャ立自尊と奉仕の精神東方正教会に今も息づくものであり、ここに未来のあるべき建築を考えるヒントがあるのではないかという問いかけで、前編を終わりにしたい。

 

後編につづく 《写真は全て筆者撮影》

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「渋沢栄一 巨人の名語録」を読んで

皆さんは、経営の神様と言われるP・F・ドラッカーが絶賛した日本人がいることをご存知でしょうか??

 

何を隠そう、タイトルにある通り渋沢栄一です。ドラッガー明治維新を高く評価し、そのリーダーであった渋沢栄一「渋沢は思想家としても行動家としても一流である」と賞賛しています。

 

そんな渋沢栄一の名語録をほんの少しでありますが、紹介させていただきます。

 

 

社会のために尽くす者に対しては、天もまた恵みを与えてくれる。

 

桜が日本の誇りであるのと同様、武士道もまた日本の誇りである。

 

現在の教育方法は九九の凡人を生み出す。

 

「好きになれない」と思った人とは、無理に付き合う必要はない。

 

才能が劣っていても誠意ある者を選ぶ。

 

災いの多くは、すべてが順調に進んでいる時に前触れがある。

 

どんなに「ふるまい」が上手でも、小さな仕事を軽視する人を仲間にしたくない。

 

将来性が望めれば資金は自分のほうから寄ってくる。

 

 

渋沢栄一 巨人の名語録 (PHPビジネス新書)

渋沢栄一 巨人の名語録 (PHPビジネス新書)

 

伊勢神宮を有名にしたのはドイツ人 【 西行法師も感激 世界の名建築 】

天皇の祖先にあたる天照大御神 (アマテラスオオミカミ)」主祭神とし、神社の中でも最も高い格式をもつ「国家神」とでもいうべき存在が伊勢神宮です。正式名称は神宮といい、「天照大御神」をお祀りする「皇大神宮(内宮)」と「豊受大御神 (とようけおおみかみ)」をお祀りする「豊受大神宮(外宮)」からなります。古来より信仰を集め、一生に一度の「お伊勢参り」は日本人の憧れとなっています。

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内宮 宇治橋鳥居

 

平安末期の歌人として有名な西行法師は、伊勢神宮を訪れた際にこのような歌を詠んでいます。

 

「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

 

(どなたさまかがいらっしゃるかはよく分かりませんが、畏れ多くてありがたくて、ただただ涙が溢れてやみません)

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内宮 五十鈴川御手洗場

伊勢神宮について多くの著書をもつ建築評論家の川添登氏は、「神域と遷都」にて、伊勢で感極まった西行について以下のように述べています。

 

西行ほどの人物が、伊勢神宮の祭神が天照大御神であることや、それにまつわる神話などについて知らなかったはずはない。しかし、それらは個人の主体に、直接関わってくることではない。他の宗教の神仏のように、人を愛せよと諭すのでもなければ、われ汝とともにありと呼びかけるのでも、ひたすらに祈れと救いの手をさしのべてくるものでもない。また当時には、明治以後のような天皇制思想というものもなかった。日本人は、古くから人間社会の背後に働いている自然の神秘を信じていたが、それは口に出して語れるような論理的な反省による性格のものではなかった。まさに「何事のおはしますかは知らねども」なのである。

 川添登「神域と遷都」ー

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内宮 正宮 「ここから先は写真撮影禁止」

今となっては有名な伊勢神宮ですが、建築史の中では長らくマイナーな存在でした。明治以来の国家神道の中心に置かれたために扱いずらいテーマでもありました。そんな伊勢神宮に建築家の関心を一躍集めさせたのは、ナチスの迫害により日本に亡命した、世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウト (1880〜1938)です。タウトは日本中の建築を見て回り、特に伊勢神宮桂離宮に感銘を受け、その感動を世界に発信します。

 

 「材料と構造と比例の純粋性において、これ以上のものは世界のどこにもない。」

 

「世界の建築家はここを巡礼の聖地としなければならない。なぜならばこの日本の完全な独創的な作品は全世界を統べる唯一の作である。」

 

ギリシャの諸神は、天上界の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神の美を偲ばせる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材をもって最高の美的醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃墟にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないだろう。伊勢神宮の意義は、日本の全国民の崇敬の対象であるとか、また参拝の人々が陸続として絶えないということだけにあるのではない。造営の精神、即ち神宮の建築に対する考方に、まったく独創的なものが開顕されているのである。」

 

ブルーノ・タウト 

 

タウトはとにかく伊勢神宮を絶賛しました。偉大な西洋建築として有名な、ギリシャパルテノン神殿に肩を並べられる、精神性ある建築だと絶賛しました。当時の日本の建築界は急速に進む欧米化の波を受け「日本らしい建築とは何か」が分からなくなっていた時代。タウトが伊勢神宮桂離宮の素晴らしさを世界に発信したことは、日本の建築界にとって、アイデンティティを取り戻す力になったのです。

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外宮 参道

西行やタウトがなぜそこまで感激したのか、それは実際に訪れなければわからないでしょう。正直私も行くまでは分かりませんでした。実際に足を運ばなければ感動することはできません。コーリン・ロウやルイス・カーンはじめ一流の建築家が言ってきたように、真理は目に見えない世界にあるのだから。

 

できる範囲でお伝えするならば「人間と自然が一体」となった世界観に私たちは感動するということです。背後に茂る杉木と同質の素材をもった建築の調和、そして自然と人間の調和に私たちは感動するのです。

 

今日使われている「個人」や「主体」といった概念はフランスのルソー等によって確立され、現代社会の自由主義や民主主義の根幹になっておりますが、不明瞭な「個人」と「全体」の区別は、ときにギロチンや粛正、ときに嫉妬や批判のみする人民を生んできたとも言われてます。

 

そんな、『唯一神と人間』『自分と他人』『人間と自然』がはっきり区別される西洋文明とは違い、東洋文明には皆が神仏の子であるからこその「自他一体」「人間と自然が一体」という世界観があります。この世界観に私たちは感動するのです。

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外宮 豊受大神宮付近

式年遷宮」についても触れなければなりません。七世紀に持統天皇が始めたとされる「式年遷宮」は、内外宮とその他十四の別宮にいたるまで、全て二十年ごとに全く新しく造り直す制度です。

 

一度建てたら永久に遺る石造りの西洋建築とは違い、建て直すことが前提の伊勢神宮は、私たちに「生死とは何か、永続性とは何か」を考えさせてくれます。転生輪廻や、死後自然に還っていくような人生観を考えさせてくれます。

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外宮 古殿 「二十年ごとに社殿が建て替えられる」

とにもかくにも、日本が誇る世界の伊勢神宮に、一度は足を運んでいただけたら嬉しいです。最後まで読んでくださり本当にありがとうございました!!

《掲載写真は全て筆者撮影》

www.isejingu.or.jp

 

参考文献: 

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」

 かなり参考にさせていただきました。日本の建築界を長らく牽引して下さっている磯崎さん、本当に有難うございます。

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

 伊勢神宮のような東洋文明の世界観の中でこそ、デジタルネイチャーは成り立つということを落合さんは語っています。西洋文明をそろそろ終わらそうじゃないかと、これからの時代は東洋文明だと、落合さん熱く熱く語ってます。引用されるのは伊勢の式年遷宮や、荘子芭蕉、その他数々の新旧問わない文献です。数式や理科の実験、サイエンスの事例から導き出される自然界の法則も引用しているので非常に面白いです。それらを引用しながら「あらゆる自然の中に本質が宿っている。そして自分と自然、さらには自分と他人は一体である」という空間論や「生死とは何か、永続性とは何か」という時間論を語っています。

図説 日本建築のみかた

図説 日本建築のみかた

日本建築史図集

日本建築史図集